緘黙症だった頃の話 その1

以前別のブログに投稿したものを改良した記事です。
改めて読み返したところ、
十数年溜め込んだものを爆発させただけの
気持ち悪い文章になっていたので、
余計な文を削って読みやすくしました。
 
 
 
あなたは、異常なくらい大人しい子に
会ったことはありませんか?
話しかけても全く声を発さなかったり、
名前を呼んでも返事をしなかったり、
困ったことがあっても
オドオドしてるだけだったり…。
 
余りにも声を出さないことから
印象に残っている人もいるかもしれません。
(影が薄すぎて覚えてないパターンも多いかも)
その子、「人見知り」とか「引っ込み思案」
とかでは……ないんです!
 
これは場面緘黙症」という、
日常生活に深刻な悪影響をもたらす
特殊な症状なのです。
 

 

 

場面緘黙症とは

 

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「学校の中でだとか、家族以外の人相手だとか、
特定の状況において
全く声が出せなくなる症状」です。
選択性緘黙症とか単に緘黙症とも言います。
 
なるほど、声が出ないのなら
何らかの原因で言語能力が失われているか、
聴覚や声帯など何らかの身体機能に
障害があるのか…とか思われるかも知れません。
 
それが、違うんです!
この症状で変わっているのは、
「言語能力も発声器官も一切問題がない」ことです。
普通に話す能力はあるのに、
常にトラウマのような脅迫観念に襲われて
声を出せないのです。
 
 
そしてもう一つ変わってることがあります。
「選択性」という言葉が示す通り、
前述のような特定の状況以外では
ごくごく普通に話すことが出来ます。
学校では無口でも家ではめっちゃ喋ってて
別人に見えるレベルだったりするかもしれません。
 
 
以上のことより、
周りからただの大人しい子と見られてしまい、
症状の改善が遅れてしまうのが問題になっています。
最悪、話しかけても無視する無愛想な奴として
見下される場合もあります。
(話したくても話せないだけなのに…)
 
緘黙症のことを学校で周知されていないと、
当人は声を出すことを無理強いされて
度々苦しめられますし、
周りの人も接し辛くて頭を抱えることでしょう。
 
緘黙症について調べれば
それなりに情報出てきますが、
僕的にはこのページがオススメです。
分かりやすくまとめてあるのでぜひ読んで下さい。

smjournal.com

 
 
 
 
で、何でいきなりこんな話を
してるかというとですね…。
実は僕が場面緘黙症だったんです。
小学校に入学した頃から始まり、
大学に入学して3年目となる今年になって
ようやく症状が和らぎました。
 
他の当事者の方と比べると、話せるようになるまで
かなり長い方だったかと思います。
生まれてから20年間、
世間一般とはかけ離れた生活を送ってきました。
 
 
緘黙症について広めようという活動が
ネットで調べると沢山見つかったので、
これは僕も経験者として協力しないとなと。
ちょうど自分自身においても
一息ついたところではありましたし。
 
という訳で、僕の経験談をガッツリ語らせて
もらおうと思います。
ただ、人によって症状はそれぞれなので
その点注意してください。
 
 
 
 

発症のきっかけ

 

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幼稚園の頃は別になんともありませんでした。
普通に友達と喋ってましたし。
でも引っ込み思案の臆病者って性格はあって。
 
みんなはしゃぐ場面でも冷静だったり、
盆踊りが恥ずかしくて控えめだったり、
プールで高い滑り台怖くて避けたり…。
まあこういうのは今でも変わってませんw
 
 
緘黙症の兆候らしき出来事は
ひとつだけ思い当たります。
劇の練習の一番最初に、
役に立候補した人が簡単なセリフを言って
もらう…的なやつやりました。
 
村人役に立候補した僕は当てられて、
クラスの全員が見てる中で
劇のセリフ言わされることに。
 
しかしセリフが恥ずかしかったのもあり
言えませんでした。先生の励ましも生かされず、
沈黙の数分間を過ごしました。
 
 
ちなみに本番では主役のトリという
一番目立つ役やりました!
(同じ役でも途中で役者が変わるんですね。)
 
あの後の劇の練習は普通にやってたし、
本番も照明の影響でお客さんが見えなかったので
全然大丈夫でした。
 
 
 
小学校に入学してから、
学校では声が出せなくなりました。
特にきっかけはなく、自然な流れで。
 
クラスで一人一人自己紹介していったとき、
話せなくて苦しんだ記憶があります。
友達と話すことも既になくなっていました。
 
 
親から学校に行く前に毎日「今日は喋るんやで」
って言いつけられてたっけ。
(話すこと強制させるのは
一般的にNGとされてるし、
僕も喋らなあかんと思いつつも
心の底では絶対無理やと諦観してました)
 
小1では発表が出来なかったくらいで
稀に喋ってた気がしますし、
まだそこまで酷くなかったと思いますが、
小2からは完全に口を閉ざしました。
 
 
最初に隣の席だった子と友達になりました。
その友達繋がりで色んな子と遊んでたんですが、
学校では話せなくても学校外
(僕の家や友達の家で遊んでる時)は
普通に喋ってました。
よくゲームとかドッチボールやってたなぁ。
 
それとは逆に、ずっと普通に喋ってた幼なじみとは
学校では話せなかったりしました。
 
 
 

なんで声が出せないの?

 

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出せないもんは出せない

 
よくクラスメイトから喋れだの何だの
突っかかれましたけど、
喋らない状態が続いている環境では
まあ喋りません。
笑わせようが怒鳴ろうが暴力奮おうが無理です。
むしろ強制したら逆効果です。
半殺しにしても無理です多分。
 
脅されて身動きが取れない感覚?
不安で、怖くて、周りにいる全員から
嫌われてるような。
たとえどんなに気分が明るくなっても、
今までここでは喋ってなかったという過去が
声を失わせる。
 
 
「選択性」という部分についてですが、
ある環境で話さない状態が固定化されていると
もう声を出すチャンスがなくなります。
周りから「喋ったー!」とか
もてはやされるのが嫌でw 
 
だからといって喋るのを強制させる環境なら
心に深い傷を負います。
しかし周りが順応してくれる環境なら
それで落ち着いてしまうし…。
 
僕が思うに、話せるようになるチャンスは
環境が変わったその瞬間のみだと思いますね。
 
 
 

出したくても出せない

 
僕のこと知ってる人は
喋るのを無理強いすることは絶対ないですけど、
僕のこと知らない人は当然普通に話しかけてきます。
それで何度も何度も相手に迷惑をかけました…。
 
一番記憶に残ってるのは高校入学して
2日目くらいのこと。
帰ろうと昇降口に向かってとき、
同じクラスになった男子が話しかけてきました。
「名前は?」と…。
 
無視するわけにはいかない、
しかしアクションが取れない…。
こういうとき、頭真っ白…ではなく
脳内思考が駆け巡ってます。
 
「えっ、名前って席近かったから知ってるやろ
何で聞くんやろ何か別の目的があるんやろか。
それともマジで名前知らないとか。
てかどうしよ生徒手帳でも見せるか…
いや名前まだ書いてなかったやろ。
メモ帳に名前書いて渡す…
いやいや手間かかり過ぎやろ変やって。
あーもう声出せや
高校から変わるんじゃなかったんか。
……あーやっぱり出ない。
てかこれどうゆう状況?
そのまま帰ったら…ダメだよね。
てか名前何で聞くん(ループ」
 
棒立ちの僕とただただ困惑する相手。
散々経験してきた状況。
相手が目上の人なら何とかしてくれることも
多いけど、初対面かつ周囲に誰もいないという
ものすごい気まずさ。
 
結局逃げるように相手は帰っていきました。
本当に申し訳なかったです。
 
 
 
 

緘黙症の苦難

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出席とるときが地獄

 

出席をとるときは声を出して
返事をしなければなりません。
手を挙げるだけで確認されるならいいものの、
気付かれずに欠席となったことも数知れず…。
 
出席の人数と実際にいる人数が合わず、
全員立たせて名前呼ばれた人から座らせる
とかいうやつあったりねw 
最後に余ると絶対わかってて待つという
苦痛の時間。
 
 
特に僕の事情を知らない新しい先生のときは
ドキドキしっぱなし。小学校の新しい担任だったり、
中学校の教科ごとの先生だったり、実習生、
英語の講師などなど…。
 
最悪、みんな見てる前で糾弾されかねない。
「君が○○君でいいの?返事は?」みたいな。
困ったときは誰かが僕のことを伝えてくれた
おかげで、最終的にはなんとかなってました。感謝。
(もしくは黙り続けた結果
相手が折れたパターンもそれなりにあるような…w)
 
 
僕が一番心的ダメージを受けた話を。
小1〜中2あたりの間に
週一でスイミングスクールに通ってました。
ちなみに水泳やそろばんなどの習い事でも
話せませんでした。
 
そこでは自分の級ごとに分かれて練習するんです。
やることは上の級ほどレベルが高くて、
月末にやるテストで合格すれば
上の級にいけるみたいな。
 
で、準備運動してシャワー浴びた後、
級ごとに分かれ
担当のコーチが出席とるんですが…。
小2のあるときのコーチは手を上げるだけでは
許してくれなくて。
 
「◯◯!」「〇〇!」と僕の名前を、
プール全体に響くくらいの声で
怒鳴られ続けるという…。
ただただ困惑して何も出来ませんでした。
 
 
 

音読、発表、合唱がクソ

 
国語の授業の音読も出来ませんでした。
自分の番が回ってくる度、
読むチャンスをなくさないよう
少し待ってくれました。
一度も読むことは出来ませんでしたが…。
みんなどう思ってたんだろう。
 
もちろん発表も出来ませんでした。
挙手して発言するタイプは
はなからやる気なかったけれども、
総合とかで自分orみんなで調べて
資料作って発表するやつが問題でした。
僕が書いた文章は全部
誰かが代わりに読んでもらってたっけ…。
 
 
一番キツかったのは合唱。
小中と何百時間も音楽はやったはずですが、
ずっと立ってるだけでしたね……。
今思えば正直歌いたかった…。
立ってるだけでいいってことになってました。
 
成績表では音楽の歌のところはずーっとCでしたね。
国語の音読はBにしてくれてましたが。
Aが大半だった僕だけど、
ほぼオールBながらCのない弟に憧れたりもしたり。
 
 
 
 

声出す以外のことも厳しい

 
別にね、声出せないだけだったら問題ないんです。
筆談とかジェスチャーでなんとかすれば。
でも、発言以外にも自己表現の手段が
縛られてしまっています。
自分が意思を持って動くのを見られるのが
嫌というか…。
 
自分から他人に何かを伝えるということは
ほぼ出来ませんでした。
自分の場合、年を追うごとに
やれることがどんどん狭まってしまい…。
おかげで恐怖しかなかったです。
 
 
始めに笑うことを我慢するようになりました。
喋らんのに笑うのはおかしい的な?
まあ我慢出来ず笑ってた気もするけど、
意図的に隠すことはしてましたね。
 
頷く、首を振ることもできませんでした。
コミュニケーションがまともにとれません。
 
 
小5からはリコーダーが吹けなくなりました。
実技テストがみんなの前で吹く的な形式に変わり、
緊張して出来なくなり…。
それから「テストで吹けないのに
普段吹いてたらおかしくね?」的な感じで
テスト以外でも吹けなくなりました。
今思えば音楽のとき何やってたんだ自分。
 
家では話せる友達がいたと書きましたが、
その友達とも家でも話せなくなってしまい…。
小3小4では違うクラスだったのに
小5で同じクラスになったせいなのかも。
「学校では話せないのに
家では話せるのおかしくね?」的な。
それからその友達と遊ぶことは
なくなってしまいました。
 
 
自己表現が出来なくて
一番ヤバかったのは中3の社会のテスト。
問題用紙が足りなくて
一番後ろの席の自分まで回ってこなかったんです。
 
で、手挙げるなりなんなりすれば
良かったのに出来ず、
解答用紙だけで解答するとかいう荒技を行使w
記号問題か語句問題か予想して埋めていく…。
まあ圧倒的クソ点数だったわけで…
(0点ではなかったなw)
 
後々、担任の先生がテストを持って家に来るほどの
おおごとになってしまった。
まあ普通気付きますよね…。
その頃は受験で病んでてテストとか
どうでもいいわ状態だったし、
何もないよってことで貫き通しましたけど。
 
 
高校に入っても話すことは出来ませんでしたが、
頷く、首を振ることは出来るようになりました。
それだけで世界が変わった感覚を感じました。
今までそれだけでも出来てたら
だいぶ楽だったろうに…なんて
思ったりもしました。
 
 
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【更新履歴】
2019/06/23
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