緘黙症だった頃の話 その2

前回記事の続きです。

okurashougi.hatenablog.jp

 

 

 

周りからの受け入れられ方

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学校で

小1からずっとだったので、
子供のノリ(?)で喋らない子として
普通に受け入れられてました。
大人なら???ってなりかねないのに
すごいね子供のノリ。
 
さすがに喋らないし何の反応もしないマンだから
外で遊ぶほど親密な友達はいなかったけれど、
何かのグループで一緒になったりしたときは
みんな仲良くしてくれました。
 
中学も他の小学校の生徒が増えただけで
今までの関わりが切れることはなかったし。
いじめも特になく…あっ、小6の3学期は
悪口言われたり叩かれたり散々だったけども、
あれはクラス自体が荒れてたしね…w
 
 
高校での同級生とは微妙な距離感でした…。
一部では裏で変なあだ名つけられて
ネタにされてたりね。
それでも徐々に馴染んで上手くやれてました。
 
 

家族間で

小4くらいの頃、
病院にあちこち連れ回されたことがありました。
自分は待機室で待ってた記憶しかないんですがw
どこかの医師との相談の中で、
親が緘黙症云々のこと知ったんだと思います。
あのクソデカい病院行ったときかな。
 
それから、高校に入るまで週に一度
カウンセリングに行くようになりました。
精神的な面で効果あった気はしないけど、
一対一で向かい合った状態なら
筆談がかろうじて出来るようになりました。
 
その頃から何故か両親が
校長先生と顔見知りになってましたね…w 
どうも僕の知らない間に面談してたようで。
緘黙症について話してたのかな。
 
 
中学の初めの担任にも
母親が何か言ってくれたようで、
無事に障害なく中学に馴染むことができました。
自己紹介が口頭でなくプリントだったのも
配慮してくれてたのかな。
中学では先生たちとも問題なく
過ごすことができました。
 
高校入試は私立の一般(専願)だったんですが、
面接という関門が…。
しかし中3の担任が根回ししてくれてたようで、
僕は特別に筆談でやらせてくれました。
なるようになれと捨て身の突撃する気だったので、
本当にありがたくて…(泣)
 
高校でも担当する先生全員が把握してくれてたので
特に不自由はありませんでした。
 
 
 
 

そして大学で挫折する

 

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そして大学に入学するんですが……。
ちなみに物理専攻です。
今までみたいに僕の事情を知っている人はいません。
高校では頷けるようになったんだから、
大学ではきっと喋れる…!
そう希望を持って行きました。
しかし、ダメでした。
 
オリエンテーションの後に何グループかに分かれて
教授の研究室行って話をしよう的なやつ
あったんですが、そこで自己紹介の時間が。
端に座っていた自分が最初に当てられました。
 
…無理でした。
いつものように喉が詰まって…。
いつものように気まずい空気になって。
いつものように飛ばされて終わり。
こうなったらもう
この大学という環境でも話せない…。
暗い暗い始まりでした。
 
 
講義ごとに先生違うから、
その度に神経をすり減らし…。
返事しなくて怒鳴られたこともあったし。
ゼミの発表も当然誰も代わりに読んでくれない。
今までは読んでくれて当然だと甘えてました。
結局、逃げました。
 
自分が自立できていなかったのも悪い。
大学では毎日登校時間違うから
時間管理できないといけない。
自分の机という居場所がないから、
空き時間は適当な場所探さないといけない。
買い物がやっと出来るようになったくらいでした。
講義はろくに出席せず散々で…。
 
 
結果、どうなったか。
分かりますね。
留年です!留年!Yeah!
 
それで前期は21単位落としましたけど、
後期はちょっと立て直してたんです。
だから退学はしませんでした。
てかこのままで退学からの就職は絶対無理でしょ。
 
 
 
次の年度始まる前に、留年生が集まる会ありました。
余談ですが、仲良くなれそうだなと思って
僕が名前覚えてた面子だけだったから、
心の中で爆笑してましたw
類は友を呼ぶ…みたいな…。
 
で、そこで反省文を書いた後に
教授との面談があったんですね。
正直教授って研究の片手間に教えてるだけで
僕らのこと見てないやろ…とか思ってました。
全然、違いました。
 
反省文に恨み辛みを書いても構いませんとか
言うから全部吐き出した。
学問全般になんとなーく興味があるだけで
物理が特別好きじゃないということも書いた。
それに対して教授は
正面から向き合ってくれました。
筆談で色々話して、真剣に答えてくれて、
嬉しいやら何やらで半泣きになってたと思う。
 
 
 
 

ついに話せるように

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部活で

声が出なくてもいい。話さなくてもいい。
それでも大丈夫なんだ。
そう割り切って頑張っていこう。
そんな決意をして2度目の一回生に挑みました。
まあ少しは成長したけど、
やっぱり話せないのは足枷になった…かも…。
 
 
しかし学部の方ではなく、
部活動で僕は決定的に変わっていったのです。
一年前は勇気が出なくて入部してなかった美術部。
今年は自分を変えようと決意し、
思い切って新歓ボックスに突撃しました。
そして部室に案内されることになりました。
 
実は今まで、学校や習い事などと
全く関係のない人とは
外でもちょっとだけ話せてたんです。
駅で道聞いてきた人とかね。
まあもちろん自分から話しかけることは
絶対なかったですけど。
 
その延長として、部活の人とも
単語レベルで会話することが出来ました。
体は緊張してガッチガチだったけれどもw
 
 
そして部室でしばらく過ごした後、
週一でやってるミーティングに出席することに。
そのときは10人くらいだったかな。
そこでなんと自己紹介することになったのです。
当然今までやったことない。
でも、でも。
みんなとはさっきまで喋ってたから。
 
学部と名前、趣味はゲームだと。
言えた。
言えました。
世界が変わった瞬間だった。
 
 
美術部に入部し、ついに部活内だけながらも
話せるようになりました。
学部ではまだ出来ないままだったけど。
まだ週一のミーティングや
新歓等のイベントくらいしか
参加してませんでしたが、
人と話すのは本当に新鮮で。
意図的には難しくても、
自然と笑うことも出来るようになりました。
 
 
ただ、これで脱コミュ障だぁぁぁうぇぇぇい!!
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
なんて思ったのは間違いだった…。
 
今まで全く会話したことなかったから、
声が出せても全然話が弾まない…。
自分から話しかけられないし
予想外の質問には黙り込むし。
緘黙症の終わりは、
コミュ障の始まりだったのである。
 
 
 

学部で

美術部では展示会やったり
沖縄に合宿という名の旅行に行ったりと
楽しく過ごすことが出来ました。
しかし後期の講義が全然ダメで…。
学部ではまだ声出せないから発表厳しいし英語も辛い。
というか緘黙症関係なく
自分のサボり癖が発動してるのが
アルティメットクソ。
 
そこで、
環境変えたら成長できるはずと転学科を考えました。
目悪くなりそうというよく分からない理由で
考えてなかった情報学科。
プログラミングは元々プログラマーになりたいと
思ってたくらいには興味あったし。
 
何より次に環境を変えれば
話せるようになるという確信があった。
高校入学で頷けるようになり、
大学で部活では話せるようになった。
いける。
 
 
転学科試験は3月に実施されました。
理工学部には各学科に数人ずつ希望者がいた感じ。
情報学科は僕1人でした。
試験は英語数学理科(科目は学科による)で
全員共通の問題。
そして最大の関門である面接がありました。
 
美術部では話せるから大丈夫。
そう自信を持って挑んだのですが…。
名前は言えたけど志望理由が言えない。
プログラミングしたことあると言ったけど
作ったものが言えない。焦った。冷や汗かいた。
このままじゃ落ちる、
というか面接出来ないとかどうすんの…あぁ…。
 
でも面接官の方々が
「志望理由書に書いてあるから大体わかるけど、
君の声で直接聞きたい。怒らないから話してみて」
ということを言われ…。
親切にしてもらえた優しさへのありがたさやら、
心の内を声に出すという
今までやったことないことへの恐怖感やらで、
半泣きで声を震わせながら話しました。
 
おかげで面接は無事終えることは出来ました。
志望理由には書かなかったけど、
もしかしたら緘黙症のことをストレートに
説明した方が良かったかもしれません。
最後の方に面接官には
「もっと話せるようになった方がいいよ」
と言われたんですが、僕としては
「これでもめっっちゃ喋ってるわボケェェェ!」
て思いましたw 
 
 
余談ですが、中学入学直後に
やたらちょっかいかけてくる男子が
数人いたんですね。しかし
「小学生の頃から一度も喋った事ない」と
友達が言うとピッタリ収まりました。
 
自分としては喋らないのがデフォルトなので
イマイチ実感ないんですが、
他人から見るとそれだけ衝撃的な違いなんでしょうか?
 
 
で、転学科試験は……
落ちました!!!
筆記試験舐めてた!!!
数学がバリバリ大学の内容やんけ!!!
電磁気とか高校の内容もわからん!!!
以上!!!
 
で、マジで退学するつもり…だったんですが
手続きを放置するうちに
物理学科に2回生として行くことになり。
 
ヤケクソになったおかげからか、
いつの間にか学部でも話せるようになってました。
周りと意思疎通出来るのはどんなに楽か。
おかげで英語もマジ楽しいです。
 
 
 

というわけで今に至る

 

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というわけで今はどこでも話せるようになり、
不自由なく過ごすことが出来ています。
ただ物理の学力無いせいで
単位落としそうなのが不安ですけど…。
 
話せないからいいや…と
(出席とか質問とか最悪委員会の仕事とか)
やるべきことをスルーする癖ついてたのも
マズかったようにも感じます。
これからはルールは必ず守るようにしたい。
 
 
僕自身が「緘黙症」という名称を知ったのは
2015年11月(大学2年目)、ごく最近なんです。
両親は既に知ってたみたいですけど。
ネットで色々検索してたら見つけて、
あっこれ自分のことだ!って。
スッと自分への理解が進み、
他に同じ症状の人がいると知って安心しました。
 
それで何が言いたいかというと、
周りの人はもちろん、先生や家族、
果てには当事者自身までもが
緘黙症のことを知らないなんてことが
あり得るということです。
発症者は数百人に1人はいるらしいというのに、
全然広まってないのは問題ではないでしょうか。
 
 
僕は家族を始めとする
色んな人の助けのおかげで話せるようになりました。
しかし、全国には誰にも助けられることなく
引きこもりになってしまった人も
多くいると思います。
だからこの記事で緘黙症について
知る人が増えればと思う次第です。
 
 
ついでにここでブログをひとつ紹介しておきます。
 
緘黙症の方が今までの経験を
漫画で紹介しています。
懇切丁寧に語っている経験談って
調べてもあまり出てこないので貴重です。
 
僕みたいに初めから
周りが気付いてくれてることって珍しいみたいで。
この方もずっと苦しんできたようで鬱展開が続きます。
 
 
 
 
 

緘黙症以外の方へ

 
もしかしたら今後緘黙症の人と
接する機会があるかもしれません。
どう接すればいいかについて
僕が思うことを軽く書いてみます。
 

質問は2択

頷くか首振るかで答えられるので楽です。
選択式で答えてくれなくても
これなら答えてくれると思います。
答えない場合は質問の意図がとれないか
答えに悩んでるかのどちらかだと思います。
決して無視してる訳じゃないですよ。
 
あとは同じ話を続けながら
答えやすい流れにする。
思いやる心を持って
相手を安心させることもとても重要です。
 
たまに気まずい空気を流すためか
連続で違う質問投げかけてくる人いますが
やめてくれると助かります(b_d) 
どれに対して答えればいいのか
分からなくなるので。
 
 
 

積極的に声をかける

みんな大人しい人には話しかけないものですが、
緘黙症の人は話せないだけで
話したがってるはずです。
おそらく聞こえる会話に妄想で突っ込んでますw
 
別に会話じゃなくて
一声かける程度でもいいですよ。
外では基本孤独ですから、
些細なことでも嬉しくて
その日1日はるんるん気分ですw
 
僕の中学生時代の友達とは
一緒に帰ったりしてめっちゃ喋ってましたね。
その頃頷くことすら出来なかったから
完全に一方通行でしたけどw  
何でそこまでしてくれたのか
逆に引っかかるレベルでしたが
やはり嬉しかったです。
 
 
 
 
 

終わりに

 

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治ったから良かったねで終わりじゃない。
今まで全く会話したことなかったせいで
声が出ても会話が出来ないという…w 
家でもゲームか野球の話しかしてなかったし。
だから幼稚園児レベルのコミュ力から
スタートしたわけですよ。
 
「そうですね」としか返せない質問って
どう答えたらいいんだろうかw
質問無視して自分の話をやればいいのかな。
あと相槌とかいう高度な技もできないし。
なかなか大変です…。
 
最近やっとこっちから話しかけることに
慣れてきましたが、
大人数だと完全に黙っちゃうなぁ。
ちょっと落ち込んでると
以前の状態に戻っちゃうのもあります。
まだまだ課題は多いです。
 
 
 
ここまでずっと書いてきて、
みんなの優しさが身に染みてわかりました。
ここまで来れたのもそのおかげです。
ありがとう。
 
また、ここまで読んでくれた人も
ありがとうございますm(_ _)m
そんな人もいるんだなぁと
頭の片隅にでも残してもらえれば幸いです。
 
 
 
 
 
【更新履歴】
2019/06/23
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